ワサビはアブラナ科ワサビ属の多年生草本で、英名Wasabi。日本原産の植物で、伊豆天城山をはじめ全国の山間渓流で自生、栽培が行われています。
石山さんにワサビ栽培のポイントを訊ねると、静かに一言「水です。湧き水であることが大事です」。水質はもちろん、水温や水量、日射量、土質等の環境要因が大きいことを、まず教えてくださいました。「栽培は簡単で、肥料も防除(農薬散布)も一切何も要らない。ただし、ワサビの生育に適した水のある山がないと出来ないんです」。
石山さんが小さい頃はその豊富な水を引いて、山の斜面を利用した棚田での米作が盛んでした。一輪車やクワもなかった時代に、竹籠で石や泥を抱えて運んで積み上げて棚田を作っていたと懐古する石山さん。政府による米の生産調整が始まった40年ほど前からは棚田での米作を止める農家が増え、今では全体の30%くらいしか残ってないんじゃないかなというお話に衝撃を受けました。
米を作ることを諦めた棚田では、杉を植えたり、あるいはそのまま放棄されたり、今では山にしか見えないところにも人の営みがあったことに驚きました。
石山さんのワサビ田の一つは、そんな棚田の跡に作られています。
今回案内してもらったワサビ田(わさびだ)は、道なき道を500mほどガタゴトと揺られながら入った山の中にありました。軽トラから降りると、そこには緩やかな斜面に、縦に長い長方形に黄緑色のワサビの葉が広がっていました。水がサラサラと音をたてて流れています。
山の中といっても、前述のように棚田だったところに杉を植えて山に戻したところです。「ご先祖様は参勤交代で江戸に行ったという話もあるから、昔からこの土地にいたんでしょうね」。
何百年と続く棚田があったワサビ田の周りでは、よくよく見ると枯れ草の影には色が同化した岩ががっちりと組まれたまま、山の斜面を支えていました。目がそれを見つけるのにしばらく時間を要しましたが、周り全体が棚田だったことが見て分かり、驚き、しばらく見とれていました。すっと光りが差し込む水流に、ワサビの黄緑色の葉と、白いワサビの花がふわふわと漂っていました。
「ワサビは増やし方も簡単よ」。根の先にできた小さなワサビを分けて定植したり、花が咲いて種で増えていったりするから、と昔からこの土地で育つワサビを受け継いでいます。
このワサビ田では、横の岩山の合間を流れる水を引いています。葉ワサビの需要が増えたため、10年ほど前に斜面をショベルカーで押して切り開き、別の湧き水のワサビ田から土と、5〜10㌢サイズの砂利を持ってきて敷き詰めて、作ったワサビ田です。「ワサビが育つ環境になるのに時間がかかった」と、3年ほど前からようやくちゃんとワサビが育つようになりました。ただ、水温の変動がある谷川の水では根が大きく育たないので、ここは葉ワサビ収穫専用のワサビ田です。
ワサビの根を収穫する用のワサビ田は、道なき道を歩いて進む別の山の中。「危なくてとても連れて行けない」と、今回はそこから根が育ったワサビを持ってきてくださいました。
ワサビの根は、年中水温が一定の湧き水で、砂利が10cmくらいある沢でないと育たないそうです。ワサビはとっても繊細です。
葉ワサビの旬は3月〜5月頭。石山さんによると日照時間3〜4時間の頃が一番美味しく、3月に入った頃から収量が増え始めます。5月に入り暑い日が続くと、だんだんと葉や茎が固くなり、茎も太くなり、そうすると中に筋が残るようになってしまうのだそうです。「今日の日(差し)もやわらかいからね、これくらいが丁度良いんですよ」と石山さん。3月の谷川の水は、まだ冷たかったです。
葉ワサビの収穫は至ってシンプルです。腰をかがめながら外葉から一つ一つ根元から手で摘んで行きます。
御年80才とは到底思えない身軽さの石山さんは、ワサビ田でも同じ動きを見せてくれました。撮影の合間に手が空くとすっとワサビ田に入り、葉ワサビを摘みながら形を整えて、みるみるうちに見事な「葉ワサビの花束」を作り上げて行きました。
石山さんは、3月〜5月の期間中、毎朝1時間半から2時間くらいかけて葉ワサビを収穫し、50束ほどを道の駅酒谷に出荷しています。売り切れそうだと連絡が入ると、午後から再度収穫にいく日もあるそうです。
「大量購入のお客さんは、出来れば(道の駅酒谷に)事前に予約してほしい。そうしたらその分多めに収穫します」。酒谷地区にわざわざ葉ワサビを買いにくるお客さんのためにと、一生懸命です。店頭から切らさない様に、酒谷のために、お客さまのために。出荷できない日は他の生産者仲間と連絡を取り合って多めに出荷してもらったり、あるいは多く出荷したり、協力し合う体制も作っています。「酒谷の良いところは、水がきれいで人情深いところ。」来た人は出来る限りもてなしたいといい、「元気と知恵をもらえる」と自治会長として定住相談も受けています。
石山さんの葉ワサビのお勧めの食べ方は「ワサビ漬け」。例えば、道の駅で売っているワサビ味噌は、ここ10年くらいで葉ワサビが注目されるようになってから新しく広まった、酒谷地区の人気商品なのだそうです。
昔はワサビ(根)の産地として、地域でまとめて福岡に出荷していた時代もあったそうですが、今では生産者も5〜6名に減り、道の駅での葉ワサビの販売が主だそうです。もちろん根ワサビも年中定期的に出荷します。
撮影後、石山さんと奥様のご好意でスタッフ一同昼食のおもてなしを頂きました。猟もするという石山さんが一人で獲ってきたという猪の炭火焼と、ワサビの葉の白和えと葉ワサビの酢漬け、タラの芽の天ぷらと自家製米のおにぎり、山の幸がふんだんに盛り込まれた昼食。
「ワサビの根は、目が細かいおろし金で卸した方が良いですよ」と言うと、丸く弧を描く様にワサビをすり下ろしてくださいました。ワサビはふわっふわ!ワサビを猪肉にのせて食べると、猪肉特有の臭みがきれいに消えて、ワサビのスッとする優しい辛み成分が後に残り、ワサビの本当の美味しさを覚えました。
「葉ワサビを調理する際に気をつけるのは、お湯の温度」。高温だと辛み成分が飛んでしまうのだそうです。鍋の底からコポコポと小さな気泡があがってくるくらいが適温で湯通し時間はサッと短時間。白和えに加えたり薄口醤油と酢の浸し液につけたり、とレシピを教わりました。石山さん、素敵な時間とお料理をありがとうございました!
酒谷地区は日南市の最北西部、都城市との市境。日南市の観光名所飫肥城下町から、国道222号線を車で10分ほど上ると「道の駅酒谷」があります。棚田や石橋などの歴史遺産と、どこか懐かしさを感じる田舎の景色。
1993年には「酒谷地区むらおこし推進協議会」が、全住民が参加する形で発足し、花火大会や棚田のキャンドルライトアップ、棚田まつり、地区内巡回や高齢者への弁当宅配など、地域振興や支援を行い、2015年には第5回地域再生大賞「準大賞」を受賞。
1999年にオープンした「道の駅酒谷」では毎日手づくりされる草だんごをはじめ、高齢者などが野菜を持ち寄り販売、貴重な収入源となっています。春はタラの芽やツワブキ、筍、葉ワサビ、など山菜で店頭が賑わいます。