10月28日。急な斜面をのぼっていくと十数メートル四方の小さな畑が、姿を表しました。畑を案内してくれた紘子さんは「(根っこは)まだ小さいとですよ」と言いながら、素早く大根を数本抜いてくれました。葉っぱはゆうに40cmを越えていましたが、根はわずか10cm弱。それでも全体的に丸みを帯びた実はどっしりと重たく、株元の茎は力強く、引き抜く際に折れた茎の繊維の間からは、水が溢れ出てきました。全体的に薄紫がかった大根の茎。思わず茎をかじると、それはほんのり甘い大根葉のジュース。そこに残ったのは、スッキリした大根の辛み。まるでハーブティを飲んだ後のようなスッキリ感。
「おいしーい」というと「そうねぇ」と優しく声をかけてくれる紘子さんの方言は、滑らかで、とっても上品なイントネーション。耳に優しい。この葉っぱから育つ大根の甘さを想像して、冬がくるのが楽しみになりました。ちなみに、紘子さんは大根の葉を塩漬けにしたものに、柚子を絞って頂くそうです。
今でも、焼き畑農業で大根を栽培する理由は「大根がおいしいから」と末五郎さん。「丈夫においしい大根が育つんだ」。那須さんの糸巻き大根は、葉っぱにほとんど虫食いもありません。一週間畑に足を運ばないことも多いそうです。昔の野菜は今みたいに虫に食われることはなかった、とどこかで聞いたことを思い出しました。
糸巻き大根の味の特徴は糖度の高さ。市場の90%以上を占める青首大根よりも、2度ほど糖度が高く、生で食べると程よい甘さが口の中に広がります。また実がしっかり詰まっていながらジューシーで、調理しても煮崩れしにくく、甘みがのった大根はカブのように柔らかく、サラダにもお勧めです。
西米良大根、米良大根、糸巻き大根・・・様々な呼ばれ方をする大根。紫色の糸が薄く巻き付くように、幾重にも横に筋が入るところから、その名が付きました。見た目も珍しく、かつ個性的。白地に薄く紫の線が入っているものや、全体的に紫がかっているもの、細長いもの、丸くて太いもの。いろいろな形があります。在来種のため色、形、大きさにばらつきがあり、個性豊かな糸巻き大根です。味も、甘みが強いものから、辛みも残るものまで様々です。親しみを感じる野菜の一つです。
村内での大根の収穫期は11月中旬から2月にかけて。那須さんの畑では、今年も11月下旬から収穫が始まります。毎年、村内各施設・直売所にて販売されていますが、すぐに売り切れてしまうそうです。(『かりこぼうずの湯ゆた〜と』で販売予定。)
那須さんは村内唯一の焼き畑農業の伝承者。例年夏までに斜面の木を切ったり周りの草払いをしたりして、畑にするところを開け、8月のお盆頃に火入れをして、翌朝には種をまきます。他にも「(山の急斜面で焼き畑農業をするのは)水引き(水はけ)がよいから。それに昔からの腐葉土が(雨で)周囲から流れてくる」。また、この土地ならではの土質もありました。「この土地のことを、ざれ地て言いなさる」と言って開いた手には小さな角張った石と薄く砕けた石。来年の夏の火入れの日に、立ち合わせてもらうことをお願いしました。
また話題が、収穫についての話になったときのこと。紘子さんの口から、これまでと同じ調子で「その年の収穫始めにはまず2本、立派なのを大黒さまに差し上げるところから収穫を始める」という話が出ました。ごく当たり前の様子で、たった一言でしたが、「山の恵みで育った大根に心から感謝して頂く」という紘子さんの自然へ感謝する気持ちを感じて、ほんわかと温かい気持ちになりました。
人口や高齢化率、給料は数字で表せます。想いや伝統は数字では表せません。取材するたびに感じていた、その土地や人の素晴しさを伝えることが容易ではないということ。それでもやはり伝えたい、これからも伝えて行こうとそう思いました。
毎年20本くらい。「大きくて立派なもの」を選抜し、移植し、花が咲いたら種を取る。そうやって何世代も前から自家採種を繰り返しして、糸巻き大根の命をつないできました。また、畑に移植する際にする大事な作業があります。それが、株元から15~20センチ程度残して葉を落とすこと。「末基(すえもと)する」というこの作業と、根の先端に伸びる細い根っこを切り落とす作業をしてから植え替えます。
那須家の糸巻き大根を選抜するポイントを伺いました。①紫の筋が入っているだけのもの、又は全体的に赤紫かかったもの、それぞれ半々づつ選抜すること。②根が、大きくて形がよく、元気なもの選ぶこと。特に、大きいのはもったいない、ではなく、この養分で大根の花実をつける新芽が伸びるため、大きいものを選ぶのも大事なポイントなのだと教えてくれました。今年の収穫ばかりを優先しない、受け継ぐためには、目先の利益にとらわれないことも大事なことだよと、言われたようでした。
那須さんは椎茸農家でもあります。麓から細い道を入り、山の斜面を車で登り続けること5分。途中何千本と積み上げられた椎茸の原木(クヌギ)の横を通りぬけ、傾斜が緩やかになったことで山頂に近づいたことを知る。そこは、辺り一面竹林。その竹の間からこぼれ落ちる柔らかい光りが降り注ぐ空間。そこに椎茸の原木が整然と並ぶ景色は、圧巻。
原木を立てかける支柱を切るのも手作業。かけるのも手作業。そして椎茸の摘み取りも手作業。また椎茸畑に落ちていたカジリかけの椎茸を見ると、何ともなしに、「イノシシよ」。
労力のいる仕事に加えて、獣害が続くこの山での畑仕事は「せんがまし(しないほうがまし)」となってしまい、村では後継者がほとんどいないそうです。それでも「自分たちがしなくなったらする人がいなくなるから。手入れせんな山が荒れる」と、那須さん夫婦は椎茸栽培を続けます。
「椎茸の選び方は傘が内側に入っていて、傘がふっくら肉厚なもの。残ったら傘の裏側を上にして、日干ししておけば大丈夫。」そういって紘子さんは箱いっぱいに入った椎茸を、お土産に持たせてくれました。お土産にもらった椎茸と大根葉。那須さん夫妻と自然に感謝して、合わせて炒めて美味しく頂きました。ごちそうさまでした。