- 生年月日/1973年7月15日 宮崎県生まれ(40歳)
料理人を志し、大学中退したのち、『日本料理 和心 うめ田』 『リストランテ ステッサ カノビアーノ』で修業を積む。
2010年3月『株式会社 Soft&Vision』へ入社し、同年5月『dining mitsubachi』を立ち上げる。
- 私は根っからの宮崎人なんです。小さい頃から料理人に強い憧れがあって、やるなら宮崎の街中で仕事をしたいと思っていました。修行に入った和食の店では、11年勉強させていただきました。
「当たり前の事を当たり前にできるようになりなさい。」今も私の中心にある言葉です。
和食の根本にあるのは、素材の味・旨みをどれだけ活かすか。それは、手をかけない料理とは訳が違います。実直に丁寧に、手を抜かずに食材と向かい合った時、美味しい料理ができるのです。
特に宮崎の食材は、野菜や魚が抜群に美味しい!素材自体に深い味わいがあって、甘みや旨味が濃縮されているのを感じます。この素材を活かすも殺すも料理人の腕次第。下ごしらえや調理法など、食材にかけるひと手間を、時に省いてもいいのではと考える人もいます。ただそれを「当たり前の事」として、普通にやりなさい。これが、先に挙げたおやっさんの言葉の意味。
料理人としての私を支える言葉です。
- 和食の修行を積んでいきながら、次第にイタリアンの勉強もしたいと思うようになった頃、宮崎市内の新しいイタリアンレストランに料理人として招かれました。和食の経験はあっても、イタリアンの知識は全くありません。さらに私以外の料理人は、フレンチ出身で、イタリアンの経験者はゼロ。皆で東京のレストランに勉強に行きながら、ニンニクや唐辛子、バターなどをなるべく使わない新感覚のイタリアンを目指しました。もともと、日本の野菜などの食材は繊細で、ニンニクや唐辛子が、その繊細な香りを消してしまうのです。素材を活かす和食の技術でイタリアンを創る。固定概念を超えた瞬間でした。
- イタリアンレストランで働き始めて、3年程経った時、友人から「一緒に店をやらないか」と誘いを受けました。それは出逢った頃からの遠い約束でもあり、有難く承諾して現在の「ダイニング ミツバチ」が誕生したのです。私は、この店を『居酒屋』であると思っています。近寄り難い、高級なレストランにしたいとは思いません。誰もが気軽に立寄れて、美味しく身体に良い「地の料理」を楽しむ環境が作りたい。そこには賑やかな笑い声がある。そういう場であってほしいのです。
- 今、当店で提供している料理は、私が和食の修行をし、フレンチの料理人と一緒にイタリアンの仕事をした為、3つの基礎知識が活かされた料理になっているとは思いますが、「創作料理」ではありません。私は固定概念に囚われずより美味しい料理が作りたいだけ。知っている情報の中から、より良い方法があれば、そちらを使います。一見フレンチのように見える「すっぽんのテリーヌ」が、和食の製法で作られているのはその為です。この「すっぽんのテリーヌ」を「和食ですか?フレンチですか?」と聞かれても困ってしましますが(笑)。
- 宮崎は食の宝庫という言葉がぴったりですよね。野菜も魚も鶏、豚、牛、何でも揃う。しかもここにいれば、そんな豊富な食材が獲れたての状態で手に入るのです。鮮度が違えば美味しさも違います。輸送に時間がかかれば、野菜たちもストレスを感じてしまいますし、甘みも旨みも変わってきます。もちろん食感も。昔は珍しい野菜などがあれば、海外から取り寄せて使ったりもしていました。でも、それはきっと自己満足なんです。金額が跳ねあがって、鮮度の落ちた野菜を使うなんて、変な話(笑)。今は宮崎の生産者さんも珍しい食材をたくさん作ってくれています。そして宮崎の生産者さんは物作りに対し、とっても真摯で真面目。私もまだまだ知らない事が多いので、今後はそんな、頑張っている宮崎の生産者さんとお会いして、一緒に仕事がしたいと考えています。
- 機会があれば、今からでも修行したいと思っています。もっともっと、美味しい料理が作れるような技術を身に着けたい。さらにテイクアウトが出来るような商品も販売していきたいですね。新しい食材でのチャレンジも常に考えています。私個人としては、「ハチドリの台所」で不定期の料理教室も行っています。家庭で食事を作るお母さんも、立派な料理人。少しでも伝えられる事があればと思っています。宮崎の素晴らしい食材を通じて、まだまだやりたいことは山ほどあります。皆さんの毎日の食事が、外食であっても家庭の食卓であっても、宮崎食材で溢れ、美味しく健康的なものでありますように。宮崎食材を愛する「料理人」が増えることを願っています。