今年は明治維新150年。大河ドラマなどでも西郷隆盛公が主役となり、鹿児島・宮崎など縁のある地域は盛り上がっていますが、日南飫肥の名物「飫肥せんべい」も明治維新がきっかけなんだそうです。維新後の改革で、廃藩置県が施行され地方行政はがらりとその様相を変えざるを得ませんでした。藩がなくなり、職を失った旧飫肥藩の武士たちが手に職をつけるために学んだのが煎餅造り。これが飫肥せんべいのルーツとされています。
地元に伝わる煎餅造りに改良を加えて、現在まで受け継いでいるお店の一つが、店名もそのまま「飫肥せんべい」。1954年(昭和29年)の開業以来、日南の銘菓として親しまれています。
今回訪ねたのは、「飫肥せんべい」製造部の澤山玲さん。「小さい頃からおじいちゃんのお手伝いで、シールを貼ったりしていた」と話す三代目です。先代の頃に経営を地元企業に移し、若い世代のアイデアを取り入れながら、伝統の煎餅造りをしています。その想いについて、お店でお話を聞きました。
澤山さんは、日南生まれの日南育ち。学校を卒業後、地元のホテルでブライダルなどのサービス業に従事していました。もともとは、毎日毎日同じ手順を繰り返す家業を継ぐ気持ちは全くなかったという澤山さん。しかし、母の勧めもあり煎餅造りを引き継ぐことになり、現場に入ってみると、毎日同じ品質の商品を作るためには様々な創意工夫が必要である事がわかり、やりがいや楽しみを感じながら地元の味を守り続けています。
飫肥せんべいの材料は、もち米と砂糖のみ。添加物を一切使わず一枚一枚手焼きしています。朝6時にもち米を蒸すところから始まり、餅つき、切り分け、焼く、そして砂糖で貼り合わせて出来上がり、というシンプルな工程で1日6000枚~7000枚の煎餅が出来上がります。その製法から、安心して口に入れられ、その口どけの柔らかさから産後のお母さんや赤ちゃんの離乳食としても食べられてきたとのこと。また、アレルギーのある方にもおやつとして親しまれているそうです。
飫肥せんべいで製造販売している伝統の味はもうひとつ。こちらも地元に伝わる手作りの味を、そのまま再現した飫肥の天ぷら「びび天」と、びび天にごぼうの入った「ごぼ天」です。「びび」とは日南の言葉で魚のこと。日南どれのシイラ、鯵をすり身にして味を整えて揚げた天ぷら「びび天」は、日南市吉野方地区のおばあちゃんが作る人気商品でしたが、高齢となったために約10年前にその味を引き継ぎました。近隣のスーパーや道の駅でも販売していて、城下町飫肥を散策した際に、ちょっと一口つまむもよし、お土産にもぴったりです。
小さなお子さんから、お年寄りまで安心して食べられる飫肥せんべい。澤山さんに、5年後、10年後の展望をお聞きしたところ、若い人にも「あー!知ってる、食べたことある」と言ってもらえるように広めていきたいとの事。そのため、宮崎のマンゴーや日南のキンカンのジャムを、県内の企業と提携して商品開発するなど新しい試みにも挑戦しています。
キンカンのジャムの味は、母親が手作りしてくれていた家庭の味を再現して作ったとのこと。故郷に伝わり守られてきた味を次の世代に伝え、楽しんでもらうために、澤山さんは今日も元気に煎餅を焼き続けています。