この出逢い旅でも幾度か取材させて頂いている椎茸栽培の現場。今回は、山あいの作業場でホダ木を切り、コマ打ちをしてという昔ながらの原木椎茸栽培と合わせて、今や全国の椎茸生産の9割を占めるという菌床椎茸の生産も行う農事組合法人インダストリー・都城にお邪魔しました。都城インターを降りて車を15分程走らせ田畑の広がる集落の中に入っていくと姿を表す白い大きな建物が目印です。取材に訪れた3月の下旬は、車を降りると霧島おろしがまだ身に凍みる時期。椎茸栽培の現場の様子を見学させてもらいながら、代表理事の田中未一郎さんにお話を伺いました。
田中さんは、祖父の代から続く椎茸栽培農家の家に生まれ、高校卒業後は椎茸栽培について専門的に学ぶため、鳥取県にあった日本菌類専門学校へと進みました。卒業後は帰郷し、JA都城に勤務。椎茸の栽培指導などの仕事に従事した後、創業大正3年、100年続く家業の椎茸栽培を引き継ぎました。
霧島連山に降る雨が長い年月をかけて濾過された霧島レッカ水で育てられたクヌギの原木林。この会社では、祖父の代から守られてきた21町歩の原木林から、毎年1万本のホダ木を切り出し生産する原木椎茸栽培を続けるとともに、菌床椎茸の生産も行っています。現在の様な、大きな規模の施設へ移行したのは2010年。豪雨災害で、以前の施設に大きな被害を受けた事をきっかけでした。以前は、5、6人の従業員で行っていましたが、事業拡大とともに現在は約60人で、1日8000パックの椎茸を中心に、発芽玄米や大麦若葉などの加工品の生産も行っています。
菌床椎茸の栽培施設の中を見学させてもらうと、建物の中は温度管理と湿度管理がされ、作業工程をオートメーション化した近代的な生産工場。原木椎茸作りのホダ木農場とは全く違う風景がそこには広がっていました。受け継いだ山やクヌギを大切に守りながらの椎茸作りと国内に広く安定供給するための椎茸作りが両輪となっている印象を強く受けました。
幼少の頃からクヌギ林に入り、近所の方々や親戚とともに作業をする椎茸栽培を肌で感じながら育ったという田中さん。取材にお邪魔した時も、新社屋の落成の時のイベントや、従業員の方々の出し物の練習のエピソードなどを伺い、「明るく、楽しく、元気よく」な、職場の朗らかな雰囲気が伝わってきました。 そして、田中さんが椎茸作りで最も大切にしているのは、徹底した品質、安全管理です。例えば、菌床栽培の元になるおがくずに関してもどこで誰が育てて作ったのかをきちんと記録に残すトレーサビリティシステムを確立し、安全・安心な商品を安定的に供給することで、顧客からの信頼を得ています。
また、トレーサビリティの確立とあわせて、生産現場での環境に考慮した取り組みなどが認められ、国内安心きのこ認証の認定も昨年に宮崎県ではじめて受けています。「孫にも安心して食べさせられるような」商品作りをモットーとする田中さん。消費者がこれから益々求める「食の安心・安全」に徹底してこだわるインダストリー・都城の商品は、宮崎県内だけでなく県外、国外でも価値が認められ、今後さらに販路が広がりそうです。