徹底した衛生管理の下で育てられる「えのき茸」-加藤修一郎

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加藤 修一郎
(かとう しゅういちろう)

1975年宮崎市高岡町生まれ、宮崎県立宮崎農業高校を卒業後、語学留学でイギリスとオーストラリアへ。その後福岡で就職するも家業のえのき茸生産業に従事するため帰郷。業界での生き残りを賭けるべく研鑽を重ね、現在では、一日15万個、従業員160人規模の工場を運営する。家庭では、小学6年の男の子、小学3年の男女双子のお父さん。消防団など地元高岡町の活動にも積極的に参加している。
有限会社加藤えのき代表取締役

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  • 【住所】
    宮崎市高岡町浦之名4309
  • 【電話番号】
    0985-82-0717
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徹底した衛生管理の下で育てられる「えのき茸」-加藤修一郎
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地元の雇用を支えるえのき茸工場

宮崎市内から国道10号線を野尻方面へ。宮崎県内を取材する私たち取材スタッフには走り慣れた道でこれまで何度も工場の前を通っていたのですが、中に入ってみてびっくり。こんなに大きなえのき茸生産場だったとは!と驚きました。今回お話を伺ったのは、有限会社加藤えのき代表取締役の加藤修一郎さん。高岡生まれの高岡育ち。現在はお仕事の傍ら、消防団や商工会活動など地域活動にも積極的に参加している加藤さんですが、もともと家業のえのき茸生産を継ぐつもりは全くなく、「早く宮崎から出たい」と思っていたのだそう。

高校卒業後は、イギリスとオーストラリアへ語学留学。福岡で就職をしましたが、帰郷し家業を受け継ぐことに。両親や、祖父母、子どものから知っている近所の人も手伝いにくる20人くらいの規模の生産工場を一手に引き受け、少しずつ規模を拡大し、現在は従業員160人。30代を中心に近隣の町も含めて地元の雇用を支える存在になっています。

勉強を重ねるうちに変わった決意

日本でもっとも生産量が多く、「ユキノシタ」とも呼ばれるえのき茸は国内でいうと、新潟県や長野県など寒い地域が元々の産地とのこと。加藤さんは長野県の生産工場までツテをたどって見学をさせてもらうなど研鑽を重ねました。「逆に自社のことを質問されると(知識不足で)答えられない恥ずかしさがあって、比較と勉強を繰り返しながら、覚えていきました。」と語る加藤さん。そんな中で、仕方なく家業を継いだという思いが、「仕事として、しっかりやっていきたい」という決意に変わっていったと言います。

生産は1日に15万パック。主に九州そして、広島、大阪、名古屋など広く販売をしています。スーパーでも安価で気軽に購入出来るえのき茸は、私たちの食生活の強い味方。手軽に調理もできる身近な存在ですが、菌糸の状態から出荷出来るサイズに育つまでには約2ヶ月かかります。工場内は成長段階に応じ4度~13度の低温を常に徹底。湿度や二酸化炭素濃度をコントロールしながらきのこの生育状態を見守ります。日持ちに影響するえのき茸の固さは水分量や培地の配合で変わってくるのだそう。この培地は、家畜用の飼料や、おから、米ぬかなどの原料を十数種類ブレンドして作っています。

“安定した品質のものをより安く

「定量出荷をモットーとしたり、病気を出さずに、欠品しないで品質安定とか、当たり前のことが意外に難しい」と語る加藤さん。工場で徹底管理の下で育てているとはいえ、やはり農作物を育てる仕事。そんな中でも安定した出荷を続けることで、取引先の信頼を得て、出荷量を増やしてきました。

今後の目標はと尋ねたところ「日本一安くえのき茸を作って、業界の中で一番給料が高く出せるようになりたい」と答えてくださいました。創業以来、3度の水害にあい、その度に工場を移築するなどして災害を乗り越えてきたえのき茸工場。安定した品質のものをより安く作り続けるにはどうしたら良いか、加藤さんの研鑽の日々はこれからも続きます。

取材: 横山美和 (よこやま みわ)
宮崎市出身。宮崎大宮高校を経て、立教大学社会学部へ進学。在学中よりフリーアナウンサーとして活動。2003年に帰郷しテレビ宮崎入社。現在は子育てをしながらUMKテレビ宮崎、MRT宮崎放送、宮崎サンシャインFMの番組、CM等に出演の傍ら、宮崎県内で絵本とピアノのステージ「おはなしとおんがくの森」の公演も行う。
facebook: 横山美和

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