けふもまた こころの鉦を うちならし うちならしつつ あくがれてゆく (牧水)
宮崎県東郷町が生んだ歌人若山牧水。牧水の作品の奥底にはいつも故郷への強い思いと憧れがありました。「酒を愛し、旅を愛し、自然を愛した」と言われる牧水の歌碑は、全国で約300基ありその数は歌人の中で最も多く、牧水の人気がうかがえます。
清流耳川が流れ自然豊かな東郷町には、そんな地元が生んだ歌人若山牧水にちなんだ焼酎が作られています。酒を愛した牧水に因んだ地元の名産品を創り上げようと、東郷町に2004年に立ち上がった富乃露酒造は、伝統の甕壺仕込みで、厳選された原材料を用い、蔵のすぐそばを流れる清流耳川の伏流水を仕込み水として少量ずつ丁寧に焼酎を生産しています。会社設立当時の地元説明会には大勢の住民が訪れ歓迎するなど、東郷ゆかりの人々に愛されながら、初蔵出しから10年目を迎えた酒蔵です。
今回は宮崎県東郷町にある富乃露酒造で酒造りの責任者「杜氏」を務める甲斐裕一さんを訪ねました。
冨乃露酒造で生産されているのは「日向あくがれ」を代表とする芋焼酎です。芋焼酎の代表的な製造過程は、まず蒸した米に麹菌をまぶして麹を作り、その麹に水と焼酎酵母を加えます。麹がデンプンを糖に変え、酵母が糖をアルコールに変える役割をして一次発酵後、いよいよ芋を投入。芋と水を加えてデンプンが糖に、糖がアルコールにと醸されていきます。この時の時間配分や温度管理などで、出来上がりの焼酎の味が大きく変わり、焼酎造りを取り仕切る杜氏の腕の見せ所です。その後、熱した蒸気からアルコール分を取り出す蒸留、濾過、熟成、瓶詰と多くの手間暇をかけて芋焼酎の完成です。
富乃露酒造で杜氏を務める甲斐裕一さんは、バーテンダー出身。ウイスキー好きが高じてウイスキー造りを学ぼうとイギリス留学の準備中に、宮崎県内の焼酎蔵でウイスキーと同じ麦を使った麦焼酎の製造過程を見学し、利き酒をさせてもらったことで焼酎の味に魅せられ焼酎造りの道へと進みました。約半年間、焼酎蔵に通いつめてようやく弟子入りの許可が下り、初めの一年間はひたすら瓶洗いやラベル貼りの毎日との事。その後、仕込みの仕事を少しずつ任され、焼酎造り全体を取り仕切る杜氏に就任してからは、研究開発した新商品が品評会で受賞する程になりました。その後、富乃露酒造に杜氏として迎えられた甲斐さんは、原料の芋の買い付けや、生産農家の方々と契約して生産量や価格、使用する肥料の交渉なども行い、芋焼酎を作る過程で出る残渣(濾過した後の不溶物)を肥料にして循環型の生産・管理も手掛けています。
甲斐さんに焼酎の一番の魅力は何か伺ったところ、「味は勿論の事、焼酎を飲む、そして作る事で広がる輪が好き」と答えて下さいました。例えば、肥料を作ってくれる方、焼酎蔵から煙が上がるのを見守ってくれる地元の方々など東郷町に密着しながらも、地元だけに収まらず県外の東郷出身者にも富乃露酒造の焼酎が愛されていること、全国誰とでも繋がることができるツールであることが魅力との事。焼酎を呑みながら、愚痴を言ったり夢を語ったりと、「その人の人生の横にいつもあって欲しい」との思いで焼酎造りに励んでいます。
富乃露酒造の蔵が立ち上がって10年。木で作られた施設や土甕は経年変化による凹凸の中にいる菌がまた新たな焼酎の味を作り出してくれるとの事で、これまで創り上げてきた女性らしい柔らかい味わいの焼酎とは雰囲気の違う、骨太の熟成感のある新商品を手掛けてみたいと語る甲斐さん。夏の時期は研究開発を進め、焼酎造りが本格的にスタートするのは秋。酒を愛した歌人牧水の故郷に立ち上がった焼酎蔵の、10年目の蔵出しを多くのファンが楽しみにしています。