「なぜダチョウなんですか?」古谷一紀さんがダチョウを育て初めてから、1年あまり、何度となく尋ねられた質問だ。何ででしょうね?と何となく困った笑顔の古谷さん曰く、ただ「面白いから」とのこと。農場に実際に取材に訪れて、100羽あまりのダチョウを間近に見た時、その大きさと群れて走るスケール感に、おおお!と驚いて取材スタッフも私もテンションがあがった。確かに、これは面白そう!と感じた瞬間だった。
宮崎県日南市北郷町の養豚農家で生まれ育った古谷さんは、中学から地元を離れ、宮崎市内の私立の中高一貫校へ進学し、宮崎大学の工学部を卒業し建設会社へ就職。高速道路の建設など土木関係の仕事をしていた。その当時は家業を継ぐことは考えていなかったという古谷さんが、農業を意識するようになったのは祖父が亡くなった時、仕事をはじめて5年ほどたった頃の事だった。養豚農家として規模を拡大してきた父親が、後継者がいないため家業は自分の代でやめることになるとふと漏らしたのを聞いた時、自分が何かの形で後を継ぎたいという気持ちが芽生えはじめた。
父の代まで続いた養豚場を引き継ぐ決意をした古谷さん。しかし、ただそのまま家業を継ぐのではなく、豚以外で他の家畜を飼育してみたいと考えていた。
その時ちょうど出会ったのがダチョウの卵の話だった。古谷さんは小学生の長男をはじめ3児の父でもあるが、お子さんに卵アレルギーがある。鶏卵アレルギーのある子どもでもダチョウの卵ではアレルギーが出にくいという話を聞いて、これだ!という思いを強くした。ダチョウに関する文献を調べ勉強を進め、全国でダチョウの生産農家が400軒ほどあることもわかった。隣県の鹿児島県鹿屋市まで出向き育て方を教えてもらいながら、ダチョウの飼育が始まった。
はじめは20羽の雛を譲り受け、温度管理や水のやり方などひとつひとつ気を配りながらの作業。生後3ヶ月まではダチョウの雛は水に濡れると命の危険もあるため屋内で飼育する。文献によると、もともと砂漠地帯に生息していたダチョウはそれほど水やりの量は多くないと記されているが、実際に生産農家に聞くと、飼育する土地の気候によって水のやり方が異なるなど学ぶ点が多かったという。
ダチョウは、1歳になると体重は100キロ、体長は2メートルにまで成長する。100キロを超える大きさになると出荷できるようになり、肉や革製品として国内で年間1,000羽ほどの需要があり、肉は主に東京近郊で消費される。
地元に帰り農業を受け継ぐ道を選んだ古谷さん。父親が規模を広げた養豚場は、今、ダチョウが群れをなして自由に走るパドックとして使われている。まだまだ生産農家としてのスタートを切ったばかりだが、将来的にはダチョウを肉用として年間300羽を出荷したいと計画している。これが実現すると、全国約400軒のダチョウの肥育農家の中でも上位の規模の生産をすることができるようになる。
大きな卵、2メートルにもなるダチョウが群れをなして走る姿を間近に見ることができる農園は観光資源としても十分に魅力的だ。しかし、農場自体は、鳥インフルエンザなどの伝染病対策を万全にするため、一般に開放することは考えていない。
代わりに、子どもたちが大勢集まるイベント会場等にダチョウを連れて行き、最高速度時速70キロのスピード感や、鶏卵25個分もあるダチョウの卵に直に触れる機会を積極的に作りたいと考えている。
これは面白そう!という直感からはじめたダチョウの飼育は、スタート直後から話題を呼び、地元メディアからの取材も多数受けている。数年後、規模を広げ、様々なイベント会場でダチョウと遊ぶ子ども達の笑顔が見られることを楽しみに待ちたい。