宮崎県の中央部を流れる一ッ瀬川の上流、日向の奥座敷と言われる山あいの村西米良村。近年の市町村合併の波の中、人口約1,300人の小さな村は独自の村おこしに精力的に取り組み、古くから伝わる多数の伝統芸能を守り続けている。西米良の方言を用いた民話の語りや神楽が有名だが、村が40年の歳月をかけて名産としたのが山の恵みと山間地特有の寒暖差による温度変化を生かして栽培する柚子だ。
市房山、石堂山、天包山の米良三山に囲まれ、村の面積の96%が森林という環境の中、柚子の生産そして加工品の販売が村を支える産業となっている。夏に青い実をつけ晩秋から初冬にかけて黄金色に熟す柚子。西米良産の柚子の加工品の生産・販売を一手に担うゆず園本舗有限会社米良食品を訪ねたのは秋の空気を感じ始めた11月初旬。柚子の収穫が最盛期を迎え、採れたての柚子が入ったコンテナが積まれた加工場には独特の柑橘の香りに包まれていた。
ゆず園本舗有限会社米良食品の創業者上米良正さんは、村の米良の柚子生産の歴史とともに歩んできた。村役場のなどの勤務を経て米良食品を創業したのは昭和50年。昭和46年頃から村が推奨して柚子が栽培されるようになった頃と重なる。長男として実家を継いで米や椎茸を作り続けるよりも、300町歩の山や田んぼを元手に会社設立の夢を実現させたのは上米良さんが30歳の時だった。
果実そのままでも食べやすいみかん等と異なり、柚子は加工品の原料に向いている。その特性を活かし、古くから地元で食べられてきた柚子味噌や柚子胡椒を見よう見まねで上米良さん自身が手作りし売り歩くところからスタートした。
会社を創業して15年間はとにかく夢中で働いたという上米良さん。東京を中心に都会のデパートの物産フェアなどで店頭に立ち自ら商品を販売した。
柚子そのものの知名度が当時は低く、「これはなんという果物?」と聞かれることも多かったという。柚子独特の香りに誘われて店頭を覗きにきた買い物客に果実の特性を説明し、加工品の試食を勧めながら、生産地である西米良村のPRも少しづつ行った。西米良の地元の味でもある柚子味噌や柚子皮の漬物はこの創業当時から変わらない定番として人気が高い。
ようやく商売に手応えを感じ始めたのは会社を設立して約20年経った頃、ちょうど平成に入ったあたりからだ。きっかけは、小瓶に入った粉末状の柚子とうがらし。うどん屋や定食屋のテーブルで見かける唐辛子調味料が静かなヒットとなった。また贈答品としてゆず巻き羊羹も売上を伸ばしていった。また、以前からコンスタントに売れていたが10年程前に一気に売れるようになったのが、柚子胡椒。地鶏につけて食べるという売り方が関東まで浸透して一気に販路が拡大した。
山の中に工場を建てて不便では?なぜこんな立地に?と言われ、参考のための工場見学も多いという米良食品。上米良さんはこの場所だからこそ作ることができると語る。
取材に行った日も、夕方になると商品を受け取りに宅配業者の車が工場に来ていた。その日の夕方までに仕上げた商品を毎日定刻に回収に宅配業者がやってくるのだが、慣れた手つきで工場からの搬出をドライバーが手伝っていた。
村が柚子の生産を基幹産業にと乗り出して約40年。柚子農家は生産した柚子を地元企業である米良食品に安定的に出荷することができ、西米良村といえば「ゆずの里」というイメージも定着してきた。
上米良さんは、米良食品の経営とあわせて、村の自然や伝統芸能を観光資源として、温泉施設をはじめとする第3セクターの運営にも尽力している。山あいの小さな村で起業し、村の産業の礎を築いた後も、上米良さんは村おこしの一翼を担い続けている。