宮崎市内から、車で40分ほど。国富町法華嶽公園の緑を抜けて坂を登っていくと、右手側に見えてくる「どぶろく」の幟。自然と人とをつなぐ結の宿「法華嶽 八町坂(ほっけだけ はっちょうざか」で、大山さんにお話をうかがった。
甕仕込みの玄米黒酢などを製造販売する大山食品株式会社の代表を務める傍ら、自家製どぶろく「しこたま」の製造販売に取り組む大山さん。そのきっかけは、学生時代に遡る。家業のお酢作りを学ぶため、東京農大で醸造について学んでいる頃、授業の中で日本酒の美味しさに衝撃を受けた。大学の仲間たちとお酒を飲んだ帰りに「しこたま」というブランド名が突然頭の中をよぎったのが、20歳の頃。いつか自分で「しこたま」という名前の日本酒を造りたいと決意した。
大学卒業後、西ドイツに渡りワイン工場でぶどう畑からのワイン造りを学んだ。滞在中にワインマイスターの取得を目指すが、研修ビザの更新時期に湾岸戦争が激化。25歳で地元宮崎へ帰郷し、大山食品株式会社に籍を置く。家業の後継者としての多忙な日々を送りながらも、大山さんには夢があった。それはやはり日本酒を造ること。そのため、33歳で準備会社を立ち上げ、国富町で酒造りをするための模索が始まった。
国内で日本酒を製造するには新規で免許を取得する方法と廃業する既存の酒蔵から免許を譲り受ける方法がある。どちらも数年単位では実現が難しい中、第三の案として浮上したのが「どぶろく特区」だ。どぶろくは米から作るもっとも古いタイプの醸造酒のひとつで、文献では平安時代まで遡る歴史を持つ。
江戸時代までは稲作農家で一般的に作られていたが、明治時代に入ると酒税制導入により一般での製造が禁止され免許事業となった。しかし、2002年(平成14年)の行財政改革により、特定の要件を満たした地域での製造が可能になり、全国にどぶろく特区が誕生した。(宮崎県では三股町も特区認定されどぶろくの製造販売が行われている) どぶろく特区の要件とは、稲作農家であること、自家製の米で製造を行うこと、農家民宿またはファームレストランなどの飲食業を行うことなどである。
そこで大山さんは酒造りの準備会社を農業法人とし、町から宿泊施設を賃借するなどして、特区申請を町を通じて国に行い、どぶろく作りをスタートさせた。そのどぶろくに付けた名前が「しこたま」である。
また、特区の要件となっているファームレストランとしての「おとうふカフェ」では、玄米や自家製豆腐、自社菜園の無農薬無化学肥料の朝どれ野菜を使った料理を提供。
休日や夜には、音楽ライブや食のイベント、日本酒の会など、多彩な情報発信の場となっている。日本酒作りの夢を描いた20歳の頃、年齢ごとに目標設定をし、ひとつひとつを多少強引にでもクリアしてきた。40歳を過ぎてからは、力を抜いて風に乗りながら進みたいと話す大山さんだが、73歳になる段階までもう目標が決まっているとのこと。
もちろん、どぶろく造りとあわせて、家業の大山食品株式会社での商品開発でも様々な仕掛けを行っている。これまでの商品のパッケージを改め、FacebookなどSNSとからめてプロモーションをしたり、イベントを計画するなど、大山さんのアイデアは尽きず、今後の展開が楽しみだ。