明日葉(あしたば)は「今日摘んでも明日また芽がでてくる」ほど逞しく、原産地伊豆七島の島民が元気で長寿なため、別名「長寿草」。カルシウム、鉄分、カリウム、ビタミンCなど体が必要な栄養素を満遍なく含むといわれ、野菜不足を補う強力なサポーターです。 最初に畑でみたときは、観葉植物かと思いました。テカテカした大きな葉にがっちりした茎、適した環境で育つと背丈は150cmにもなります。味を尋ねると「サラダでも食べられる」と意外な答え。早速葉っぱをかじってみると濃い三つ葉のような風味で、強い苦味を想像していた私はちょっと拍子抜け。
「野菜室で2〜3週間は持つよ」と沢山明日葉をいただきました。ざっと洗ってビニル袋に入れ冷蔵庫へ。半月後、味香りが薄くなったものの見た目はほぼ変わらず、栄養価の高さを実感。
明日葉は定植して2〜3年目の秋に種をつけます。川越さんは種をとり苗を作ると、半分以上を配ってしまいます。「みんなが明日葉で健康になってくれたら嬉しい」と。私もありがたく頂いて、自宅の畑の隅と木の下に植えました。木陰で日差しが柔らかく、湿度と風を感じるところです。定植して3日後、黄緑色がかっていた葉っぱに緑色が戻ってきました。
明日葉は、特に茎に独特の風味があり、セロリのような感覚でその個性を楽しめます。新芽は細かく切った生葉にポン酢やドレッシングをかけてサラダに。きんぴら風に炒めたり、お浸しや白和えに。いろいろな料理で頂きました。がっちりと太い茎も「すじ取りや下ゆではいらないよ」という川越さんのアドバイス通り、加熱するうちに柔らかくなりました。下処理が簡単なのも明日葉の強みです。
川越さんのお勧めは天ぷら。「上手に揚げられると口の中に残らず、すーっと消えていくんですよ」。天ぷら粉と水で作った衣にサッとくぐらせ、約130度の油で揚げます。
明日葉会が出店する地元のイベントでは『明日葉うどん』として販売。明日葉粉末を練りこんだ麺に、明日葉の天ぷらをトッピング。明日葉のうどん麺はまろやかな抹茶のような風味で、香りのよい明日葉の天ぷらと好相性、印象に残る美味しさです。
毎年6月の青島トライアスロン大会に、12月の青島太平洋マラソンでは2日で1,000食を販売。「明日葉の天ぷらがないと明日葉うどんじゃない」「普通のうどんに明日葉の天ぷらを載せるだけでも美味しさが違う」と優しい口調ながら伝わってくる明日葉に寄せる熱い想い。毎年食べるリピーターも多く、イベント前は葉っぱの収穫が大忙し。現在は、地元道の駅フェニックスのレストランでも食べられます。
川越さんの自宅は明日葉の苗に囲まれています。潮風をあびながら日向ぼっこする苗の小さくてかわいいこと。といっても、種をまいてから約40日もかかっています。このあとの生育は早く、30日経つ頃から畑に定植し始め、定植後約40日で収穫。更に6〜7月の高湿度、高温期には定植後約30日で収穫できます。「こんな野菜、他にはないですよ」。
明日葉は栄養価が高く評価されていますが、栽培もしやすく、夏と冬の寒暖の激しい時には寒冷紗をかけますが、種まきも定植も一年中可能。そうして一年を通して、うまくいけば8ヶ月くらいは収穫を続けられます。
植えつける時は、半木陰がお勧め。「日光が当たりすぎると葉が黄色くなって枯れてしまう」そうで、同時に30cm離して植えだけの苗が小指と腰丈と別物のように育っているのも目の当たりにしました。
撮影日はちょうど雨。明日葉が嬉しそうに輝いていました。収穫する時は、新芽が潜む真ん中の茎を少し長めに残して切るのがポイントです。剪定はさみで1本ずつ収穫すると、葉と茎に分けて、主に葉っぱはお茶に、茎は粉末に加工します。明日葉の茎の下に節が2〜3節出来てくると、花を咲かせる準備に入るため、その茎は収穫せずに残します。
川越さんは明日葉栽培暦22年。それまで内海地区の主力農産物だった、つわぶきやえんどうの代替え作物を探して辿り着いたのが明日葉でした。
平成8年、八丈島から栽培技術者を招き、宮崎市内海地区の16軒で栽培を開始。ただ、初めは明日葉を市場に出荷する販売方法をとっていたため、当時の価格低迷に苦戦し、半年で半数名が離農。栽培と並行して当初から加工品作りを模索し、現在は明日葉茶や明日葉粉末などの加工販売に主軸を起き、生葉の販売は市内の直売所や道の駅などに限定。
栽培に取り組みはじめて約20年、現在は5軒で栽培を続けています。川越さんたちの活動によりその機能性や料理方法の認知度があがり、現在では生産が追いつかないほど引き合いが強くなっているそうです。特に今年は昨年秋の台風の影響もあり、供給が間に合っていません。
当時は「明日葉って何?」と説明するところからでしたが、「広げることによっていろんな人に支持を受けるんじゃないかなっていう期待感はあった」と最初から川越さんを引きつけた明日葉。目先の利益にとらわれず「地元の人に伝えてないと良さがわからない、普及していかない」という信念と行動で明日葉の定着につなげました。
川越さんは高校を卒業後、大阪の大学に4年、土木専門学校で1年学び帰郷。実家の土木建築会社を継ぎ、その後農業へ転向し現在に至ります。
大学時代は新聞奨学生として学費も生活費も自分で稼ぎました。最初は実家の収入だけで落とされたものの、「親の経済状況だけで子どものチャレンジを妨げないでほしい」と本社まで行って直訴、特例で新聞奨学生になりました。在学中は顧客を1.5倍に増やし、数年連続表彰されるなど大活躍。「とにかく子どもたちと遊んでいた。その親に顧客を紹介してもらったり、引っ越してきた家の情報をもらったり、お金に困ったら家庭教師をしてお礼にご飯を食べさせてもらったり、とにかく楽しかった」。
貴重な体験をさせてもらった、と当時を振り返る川越さん。「(明日葉栽培を続けてきたのも)何か自分の人生と似通ったところがあって共感できたのかもしれん」と微笑む川越さん。「自分で試してみたい」という想いは昔から強かったそうです。
楽しいお話も満載の明日葉の取材。パワフルな川越さんは毎日明日葉の粉末を溶いたお茶を飲み、「(おいしくて)飲みすぎてしまうけど」と焼酎にも明日葉粉末を。川越さんの元気の源、明日葉。私も庭に植えた明日葉の生育を楽しみに見守っています。