恥ずかしい話、煎茶と釜炒り茶の違いを今回初めて知りました。
今主に市場で流通しているのは煎茶といって、生葉を蒸してから揉み機にかけ乾燥させたものです。実家で飲んでいた緑茶は、祖母が大きな鉄釜に薪をくべて生葉を炒ってからござに広げて揉み、それを何度か繰り返し、天日干しで仕上げて作る釜炒り茶でした。あの生葉を炒ったときの香ばしい香が忘れられません。
そんな釜炒り茶は昔ながらの日本茶の製法ですが、製茶の機械化・大量生産がすすむと煎茶の生産が主になり、ここ西臼杵地方は日本でも希少なまとまった釜炒り茶唯一の産地になりました。
機械で釜炒り茶を量産するのは、五ヶ瀬町が最大の産地だと言われています。
釜炒り茶の特徴は、香ばしい香りとスッキリした飲み口、ほんのり黄金色に輝く色。取材期間中、宮﨑茶房のお茶を販売・提供されているお店の方々にも話を伺いましたが、皆口を揃えたように、釜炒り茶の魅力をまず「香りの良さ」だと言いました。
釜炒り茶は生葉を収穫後すぐに炒り機にかけますが、紅茶は数日おいて発酵させた後に揉んで、酸化酵素の働きで茶葉が赤くなってから炒り機にかけて作ります。
宮﨑さんが実家に帰ってから、茶畑の面積は12町と4倍以上になりました。知人の農薬事故をきっかけに茶の無農薬栽培に取り組みはじめていた両親の想いに共感して、農薬を使用しない栽培を定着させました。肥料のやりすぎや施肥をする時期で虫が発生したり、寒さや病気に強い品種を植えたりいろいろ「実験」してみた成果だそうです。
元々公務員を志していましたが、大学時代に開花の研究にはまり農業の面白さにめざめ農業を継ぐ事を決意した宮﨑さん。施肥の時期で花の開花が変わるんですよ、とこれまた楽しそうに教えてくれました。
そして、釜炒り茶の製造・卸のみの茶園であった実家で、自社ブランド茶としての販売をはじめ紅茶やウーロン茶などの発酵茶の製造販売へと広げました。すごいですねというと、商売やっているからいろいろ作らないと、と笑い飛ばしてくれました。
工場を案内してもらいました。釜炒り茶で最初の工程は「炒る」という作業。ここが最も難しくて大事な作業です。
炒り機は昭和40年代から使っている横長の大きな半円形の鉄鍋。土台部分は赤いレンガ。その鉄釜に摘んできたばかりの茶葉を通し、下から加熱して炒っていきます。茶葉の水分量がどれくらい抜けたかを、そこから立ち上る蒸気や、実際に茶葉を触りながら確認して、止め加減を図ります。恐ろしいことに全部手作業。人間のカンや手触りが命なのだそうです。
また、紅茶とウーロン茶それぞれにも製造工場があります。宮﨑さんはスタッフと一緒にここでも「実験」を繰り返します。茶葉の状態によって炒り時間を変えたり、温度を変えたりしながら、香りや色の違うお茶を作っていくのだそうです。
宮﨑さんの「実験」は製造工程だけに留まりません。ある時は収穫後の畑で甘い香りが漂っていることに気づき、「調べるとジオールという蜘蛛をよぶ成分が切り口から出る」ことを調べあげ、今はその成分を放出している「いい香りのしている」茶葉も摘み、それでお茶も作ります。
そうして出来た実に様々なお茶(約200種類!)は、お茶屋さんやバイヤーの好みに合わせてブレンドして納品されます。これだけの種類のお茶をつくり、オーダーメイドに近い形で最終製品を製造している茶園は、他にあるのだろか(宮﨑さんも、他では聞いた事がないそうです)。
面白いお茶を見つけました。三年間伸ばしたお茶の木を番茶にした『三年番茶』です。番茶は秋〜冬にかけて作られ、一般的な緑茶が体を冷やすといわれているのに比べ、体の中から温めるお茶だと言われています。宮﨑茶房では「三年寝かせた番茶」と「三年間伸ばした番茶」の二種類の三年番茶を作っています。
きっかけは取引先の方や従業員の声でした。宮﨑茶房には、実に多彩な経歴をもった人が集まっています。世界中50〜60カ国を旅してきた人、静岡出身で実家も茶園を営む人、アルバイト先を探していていとこの紹介で働き始めた人などなど。
そのネットワークは多彩で、繁忙期のアルバイトをよびかけると今では話をきいて日本中からアルバイトが集まってくるのだそうです。お茶にかける情熱と、積極的に新しい価値に挑戦する宮﨑さんの人柄です。
「三年伸ばした」三年番茶は、20分間かけて煮出して飲みます。薬草のような香りが立ち上り、中国茶のようでした。スープの出汁にも使えませんかねというと、私の「こういう料理にあいそう!」という話にキラキラした目でつきあってくださいました。
撮影後、従業員の方とも一緒に10人位で昼食を頂きました。「よければご一緒にどうぞ。おむすびでよければ」と促していただきありがたくテーブルにつくと早速番茶が振る舞われました。お茶だけはありますから、と一人がいうと笑いがおき、取材スタッフを慣れた様子で丁寧にもてなして下さいました。昼食中、慣れた体運びで仕事をしていた男の子が働きはじめたばかりという話を聞いて驚き、若い二人の従業員が近々結婚するという話に聞き入り、居合わせた従業員全員が県外出身ということが発覚。従業員の数を訪ねるとみんな首をかしげて・・・宮﨑さんですら一瞬止まりました。
従業員の方にたずねた宮﨑さんの印象は「明るい」「楽しい」「いつも笑っている」。明るい笑い顔で誰とも分け隔てなく話をする宮﨑さん。
その人柄に若い人も遠方からも人が集まってくるようです。電話越しに話していても、笑っている顔が思い浮かびます。
今後の夢を訪ねると「地域の若い人が増えてほしい」と即答。若い人の雇用を生み出せるようになりたいと、お茶と同じくらい若者の雇用に熱心な様子が伝わってきました。五ヶ瀬は働く場所も限られている、だからこそ五ヶ瀬町の産業を支え、多くの人に働いてもらい、この地で住んで欲しい。そのために働きたいと来る人は、時期にもよりますが基本受け入れているそうです。そうして個人の適正をみて作業を割り当てていきます。今、紅茶作りに全幅の信頼を置いて作業を任せているのも、県外出身の女性従業員。彼女をはじめ、従業員みんなが笑みをこぼしながらテキパキと働く様子もとっても印象的でした。